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STORIES

ふと、今自分が造園という仕事で身を立て、生きているということを不思議に思うことがある。実家が名のある造園屋だったわけでもない僕が、この仕事を選んだ動機はどちらかといえば消極的でさえあった。

20代なかば、息子が生まれ、家族ができた。まわりのすべてが息子にとってあたらしく、息子を通して見るすべてが僕にとってあたらしかった。
あっちこっちと自由に育とうとする息子を、のびのび育ててやりたい。
そんな家族と過ごす毎日がなにより楽しかった僕にとって、仕事はなんでもかまわなかった。脱サラして勤め始めた造園業がたまたま要領よく覚えられた、ただそれだけだった。


木は、自分の伸びたい方向に光を求めてその枝葉を伸ばす。
人の手から遠く離れた山中の木は、実に伸びやかで逞しく、僕にはそれが何とも魅力的に見えた。
自分の思うように伸びる事ができず、切り詰められた枝は硬い。
それはたとえば、息子も、木も、同じではないだろうか。
息子や木々を見詰める先に、切り詰めない剪定の形があるように思えた。


 

来る日も来る日も、木の手入れをした。いつしか僕の目には、木の10年、20年後の姿さえ見えるようになっていた。しかし剪定技術の自信こそあれ、同時にそれでも自分はただの作業員でしかないという思いも募った。同じ業界でありながら庭造りを中心に活躍する造園家の存在は知っていて、またそのような人たちに憧れてもいたものの、手入れを中心にした仕事の方が自分には合っていたし、順調な生活を捨ててまで挑戦する勇気もなかった。

ところがある日、思いがけず僕の敬愛する造園家の方と直接お話をする機会に恵まれた。その方に、自分が憧れているものの、庭造りはとても自分にはできそうにないという事などをお話しした。すると帰り際に一言、「やれますよ」と背中を押してくださった。

それからは、庭の手入れの仕事に加え、寝る間も惜しんで庭造りに精を出した。これまで剪定の為に枝を見詰めてきた経験があったからこそ、精度の高い庭木選び、手入れによって庭を育てていくことが自分の強みにもなった。やがて庭造りを通して、たくさんの素敵な人々と出逢うことができるまでになった。

今では、枝を切るだけだった鋏が、僕と人とを繋げてくれたようにさえ思う。
僕の使う剪定鋏。職人の手打ちでも業物でもない、赤と白の持ち手のありふれたもの。口下手で、目立つ取り柄のなかった僕の手には、これくらいがちょうどいい。

 

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